秋の気配がちらほらと感じられる今日この頃です。
前回からしばらく空いてしまいましたが、弊社の歴史、後編をご紹介致します。
村井利光が某建設会社に勤めて5年が経ち、現場監督としてようやく軌道に乗りはじめた頃、父・宣夫が病で体調を崩しました。
仕事人間で、休日も事務所に上がって図面に向き合うタイプだったにもかかわらず、病にみるみる体力も気力も奪われ、気持ちもふさぎ込むようになってしまいました。
まったく事務所の切り盛りが出来なくなってしまい、指揮を執る者が不在のまま月日が流れました。
所長が居ない事務所は、まるで抜け殻のようで、従業員の気持ちも緩み、所内の一体感はすっかり失われていました。
そんな状況を見かねていた村井利光は、
自分が帰って継ぐしかない!
そう決意し、平成16年3月、勤めていた会社を退職し、同年4月、村井建築設計事務所の副所長に就任しました。
まず力を注いだことは人材育成でした。だらだらと行われていた残業や、不必要な外回り営業をカットし、当然のことですが真剣に集中して取り組むことを徹底しました。
社員とのコミュニケーションもしっかりとることに努め、教えるべきことは教えながらも、出来るだけ自主的な仕事への取組みを定着させました。
徐々に、所内の雰囲気は良くなり、活気が戻り、新たな村井建築設計事務所がスタートしました。
会長の病も快方に向かい始め、少しずつ以前のように事務所に顔を出す日々が戻ってきました。すでに副所長が事務所の顔として全面的に業務をこなしていましたが、所長は陰ながら副所長をサポートし続けました。
大きな決断を下さなければならない時や、どうしても手が足りない時には力を貸してくれ、入札や各種定例会、会合などへも積極的に参加してくれました。
そして、業務拡大に伴い、平成26年9月、事務所を法人化する運びとなりました。
株式会社村井設計の誕生です。
村井宣夫、村井利光ともに、“代表取締役”に就任し、代表者二名を看板として新たなスタートを切りました。
しかしながら、
村井利光の中では自分が主になって会社の指揮を執っているつもりでも、プライベートにおいても仕事においてもとにかく常に同じ空間で共生してきた親子だからこそ、
つい意見を伺って参考にしたり、相談している自身にあらためて気付き、
この状況を変えなくてはならない!
自分が経営者として自立しなければ!
という強い思いがふつふつと湧いてきました。
令和2年9月、村井利光は代表取締役社長として新たなスタートを切り、現在に至ります。